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山崎 泰『あなたの会社、強くしてみせます!』―新しい「ビジネス・パートナー型」会計事務所です!

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『倒れず、止まらずに走り続ければ---ハーフマラソンに挑戦』(2月号)

2012年2月6日14:59:00

 今年の1月も厳しい寒さが続きましたが、早いものでもう一ヶ月が過ぎて、2月を迎えました。

■1月のメインイベント

20120202 私にとって、毎年1月のプライベートなメインイベントは、新宿シティハーフマラソン。
 初挑戦から3年目。

 1年目は、10kmに挑戦。一夜漬け勉強ならぬ、一夜漬け走り。あまりにも事前練習できずに、当日信濃町駅から国立競技場まで走って、練習に替えたくらい無謀な挑戦。
 案の定、結果は国立競技場に戻ってきたところで72分経過。規定時間の70分以内で走れずに、完走証ももらえず。

 2年目は、雪辱を期して10kmに再挑戦。66分2秒で完走。でも40歳以上男子部門の459位、ほとんどビリ。

■3年目の今年は…

 そして3年目の今年は、周囲の制止を振り切ってハーフマラソンにエントリー。毎年一緒に10kmに参加してきたスタッフからは、心配を通り越して、ほとんど呆れられている状態。
 だって私よりも若くはるかに速い彼らのほうが10kmで自重しているのに---またもや、あまりにも無謀な挑戦といった感じ。

 とにかく、目標は高く。
 50歳になった今年、ハーフマラソンを目指さなければ、50歳代のうちにフルマラソンに挑戦できない。

 そんな想いだけで、ハーフマラソンに挑んだのです。

 旧知の大会役員の皆さんからも、
 「エッ、走るの?」「何キロ」
 「ハーフです」「これからですよ」と、意気揚々と答える私。
 ここまでは、良かったのですが…。


■1月15日、朝9時スタート

 国立競技場を出て、一般道路へ。外苑東通り~新宿通り~明治通り。
 まさに私の事務所のある地元でもあるので、沿道で応援していただける多くの方に出会います。
 同じ四谷の商店街の皆さんからは、「頑張れよ!」と励まされ、交差点を渡るところまで付いてきて応援してくださる。
 とても嬉しいのですが、(本当は苦しいのに)苦しい顔を見せることもできずに、作り笑いをしながら余裕のあるような顔をしながら走り過ぎる…これが、素人ランナーの私にとっては結構辛いのです。

 ある国会議員の事務所の前を通ると、沿道に事務所総出で走る選手を応援していました。私を見つけると、ビックリしたような顔をして「あれっ、何だ」という声が聞こえてきます。「何だはないだろう、一生懸命走っているのに…」こんなひとり言をつぶやきもしていました。
 苦しいながらも、生まれ育った新宿の街の景色を、自分なりに楽しみながら走っていました。


■倒れず止まらずに走り続ければ、必ずゴールに!

 私がマラソンに挑もうと思った理由のひとつ。
 それは…

 倒れず止まらずに走り続ければ、いつか必ずゴールに着く。
走ってでも、歩いてでも、這ってでも、とにかくゴールに近づいてみせる。
 人生のゴール、目標への歩みと同じ想いを抱いたからなのです。
 このマラソンで倒れずにゴールに辿り着けば、人生も倒れずにゴールに辿り着く

 そうやって自分を鼓舞しながら、走るのです。

■最大の誤算、関門時間との戦い

20120201 しかしながら、私にとって最大の誤算は、このハーフマラソンには関門時間という時間制限があったことでした。
 制限時間2時間30分ということは承知していましたので、とにかく2時間30分で帰って来れば…と思っていたのですが、途中に関門時間なるものがあることを、当日(それまで事前資料を、あまり良く読まずに)、初めて知りました。
 さらにさらに、慣れない寒さで途中トイレに立ち寄ったら、長蛇の列。これだけで、大きなロスで大失敗。
 10km地点を通過して、「よしこれから!」と15km地点に向かう途中で、足切り(関門時間)に引っかかってしまったのです。あえなく、1時間50分くらい走ったところで足切り不合格。まるで、昔あった共通一時試験の足切りのよう。
 歩いてでも、這ってでも前に進む覚悟でいただけに、情けなくて歯がゆくて、悔しくて、何ともいえない幕切れ。


■そして、もうひとつの大きな失敗


 今年、私がしてしまったもうひとつの大きな失敗。
 それは…全コースを、知らなかったこと。
 ただ単に、事前資料をきちんと読みこんでおけば良かっただけのことなのですが、本当に恥ずかしながら全コースを知らずにスタートしてしまいました。

 ゴールまでの道のりが、あとどのくらいあるのか分からない不安。
 あとどのくらい頑張れば良いのか分からない不安。
 どの道のりを辿って行けば良いのか分からない不安。


 これもまた、人生と同じだと痛切に感じ、反省したのです。
 人生の明確な目標がなく、なんとなく日々が過ぎていく(走っている)不安。
 人生の目標を立てても、明確な針路を立てずに、ただ単に目標に近づきたいという不安。それでは近づけない現実。
 目標への具体的な計画がなければ、あとどのくらいで目標に達するのか、皆目見当がつかない不安。


■「上り」「下り」坂を体得するマラソン

 そして、いつも思い起こすのが、昨年もふれた江戸時代初期の陽明学者・熊沢蕃山の『集義和書』の一節。あらためてご紹介します。

 順逆は、人生の陰陽なり。
 死生は、昼夜の道なり。
 何をか好み、何をか憎まむ。

 順境(人生の上り坂)や逆境(人生の下り坂)などは、ただ単に人生の陰と陽、死生も昼夜が交互に来るようなものだ。  
 交互に坂が来るのは、当たり前のこと。
 人生の上り坂が良くて、下り坂が悪いなどということは決してない


 マラソンの最中は、下り坂になると、いつ上り坂に変わるのかが気になり、逆に上り坂になると、この上りがいつまで続くのか、「上り」「下り」をとても意識しながら、この坂をどう乗り越えようか、と考えながら走るのです。
 まさに、下り坂が良くて、上り坂が悪い、ということでも何でもありません。交互に坂が来るのは当たり前のこととして、動ぜずに淡々と走るのが本当に強いランナー。
 この点も、人生に深く通ずるものを感じざるを得ません。


■『順境よし、逆境またよし』

 松下幸之助翁が生前に語った、有名な言葉です。
 マラソンでいえば、「下り坂よし」「上り坂またよし」です。

 私自身、マラソンの速度は、亀のように遅いのですが、マラソンは、人生を考える貴重な勉強の場を私達に提供してくれているように思えてなりません。

 「人生勉強などと言っている前に、もっともっと走り込め」って、そんな厳しい声が聞こえてきそうですが…。

               2012年(平成24年)2月    
山  崎   泰

新年を迎えて―『辛卯』から『壬辰』に(1月号)

2012年1月1日00:00:00

◆『辛卯』から『壬辰』に

 新年、明けましておめでとうございます。
 ちょうど一年前、『辛卯』についてこんなご紹介をしました。

20120102 『辛』は、動物を解体する時に用いる鋭い刃物の象形文字。
 永年積もった難問や古い組織を、手際よく解体すべき年。
 『卯』は、タテ2本は門柱、ヨコのふくらみは門扉。「冒」の意味もあり、前にいばらが茂って、どうしようもない状態。
 『辛卯』は、混乱が激しく、主「宰」力のあるリーダーが鋭く解決しないと、『壬辰』はさらに難しい年になる。

 まさに、『辛卯』の年に東日本大震災が起き、日本が大きく混乱。一国のリーダーシップ如何が、国民の命をも左右することを実感する一年になろうとは…。

20120101 さて、『壬辰』はどのような年でしょうか。
 真ん中の横「一」が、一番長いつくり。人間の身体でいえば、腹がふくれている様子。女性でいえば懐妊している状態。
『辛卯』までに起きた問題を解決しないまま、節分が明けて『壬辰』を迎えてしまうと、これまでの問題が大きくはらんでしまう。
 解決しにくくなってしまう年。


 個人、家庭、会社、地域などで抱えている様々な課題…。
 頭の中で、そして心の中で思い浮かぶことも多いと思います。日本という国をとってみても、同じことがいえるでしょう。
 まずは年初、節分までの一ヶ月の日々を、課題解決を先送りしないよう、大事に過ごしていきたいものです。

 

◆「感謝のつどい」を開催


20120112 先月、当グループが平素よりお世話になっております顧問先様にご案内申し上げた「感謝の集い」を開催いたしました。
 ご参加いただきました皆様はじめ、多くの皆様にご理解・ご協力いただきましたことに、心より厚く御礼申し上げます。
 特別講演会には、今まさにベストセラー作家の佐々木常夫先生にお越しいただきました。
 是非とも、大切な顧問先様と一緒に佐々木先生のお話を伺ってみたい、と思っていただけに、感動のひと時でした。

 

◆タイトルは『私は仕事も家族も決してあきらめない!』

20120105 佐々木先生から事前にいただいたパワーポイントの資料を見たとき、思わずグッとこみ上げてくるものがありました。
 奥様、ご息子、お嬢様、これまでの生い立ちが写真とともに、赤裸々に紹介されているのです。
 普通は写真だけでも嫌だろうに、生い立ちから病名、自殺未遂の場面まで、ここまで包み隠さず明らかにすることを、許されるご家族とは…。
 我が家であれば、写真だけでも大騒動になりそうです。

 佐々木先生の著書の最後に記されている経歴は、私がいくら説明をしても説明しきれないくらい、はるかにリアル。
20120114 最初に出版社から頼まれて、ビッグツリーという本の原稿を書き終えた時、家族に見せました。
 家族みんなが原稿をすべて読み終えた後…「出版しよう」ということになったのです。


◆自閉症のご子息、うつ病の奥様を守り抜いて

 自閉症のご子息、うつ病の奥様の心と命を守り抜いた人生の軌跡。

 自閉症のご子息は、集団生活に馴染めず、幼稚園も早々に退園。
 小中学校でも学校に馴染めず、不登校。
 高校時代は、幻聴が聞こえ出して混乱。
 二十歳になっても幻聴がひどく、時々暴れる。
 単身赴任先の大阪から、ご子息が一週間に読んだ話をじっと聞くべく、週末に横浜に帰る日々。

 まさにその時々の様子を表すご子息の写真が、包み隠さず講演に出てくるのです。
 思わず、聴衆全員が言葉を呑み込み、まさに佐々木ファミリーの生き様に引き込まれていくかのようでした。

 奥様も、自身が自閉症の子を産んでしまったことも遠因となり、うつ病で3回の自殺未遂。なんと7年間で40回の入院。

 

◆家庭の事情をオープンにせざるを得なくなって

 実は、私は長い間、会社ではごく限られた人にしか、家庭の事情を話していませんでした。恥ずかしくもあり、仕事上で不利になることも心配でした。
 孤軍奮闘でした。
 平日は、大阪で単身赴任。毎週金曜の夜、横浜に飛んで帰り、息子と一緒に自宅に戻ります。
 土曜日は家族と一緒に過ごしますが、日曜日には息子を連れて、彼のアパートに行き、一週間分の家事。そして、月曜日の朝一番の新幹線で大阪に戻るという生活でした。 
 さすがに、きつかったですね。

 そして妻の自殺未遂をきっかけに、いよいよすべてをオープンにせざるを得なくなったのです。
 うつ病の妻は、いつも「死にたい」と言っていました。
 だから職場には事情を話して、病院や家族から連絡があった時には、会議中であっても必ず連絡をしてくれるようにお願いすることにしたのです。
 私にとっては、とても勇気のいることでした。 

20120105 だから、ひとりで悩みを抱え込まないで。
 何か問題を抱えた時は、できるだけそのことをオープンに。
 日頃から信頼関係を築いていれば、周りはきっと手を差し伸べてくれるはず。そして、周りの人との絆ももっと深めることができるはず。
 佐々木先生の言葉は、なんともいえない重い説得力をもって、心に響いてきます。

 

◆『働く君に贈る25の言葉』

20120113 奥様が最初に入院し始めた頃、お子さんは中2・小6・小5。
 5時半起床、3人分の食事と弁当。
 そして18時退社。
 土曜日は病院に見舞い、日曜日は一週間分の家事。
 この苦境が、仕事も家事も、すべて計画的かつ戦略的にこなさなければならなくなった原点、と佐々木先生は語ります。
 私にも年子の子供がいますが、5時半起きで毎朝弁当づくり…
一週間で倒れそうで、なんとも情けない限りです。

 そんな佐々木先生が、講演レジュメの最後に披瀝していただいた『働く君に贈る25の言葉』を記して、新年の皆様へのメッセージとさせていただきたいと思います。

 皆様の人生にとって、大切な一年となりますように。

 「目の前の仕事」に真剣になりなさい
 欲を持ちなさい 欲が磨かれて志になる
 強くなければ仕事はできない 優しくなければ幸せにはなれない
 君は人生の主人公だ 何ものにもその座を譲ってはならない
 自分を偽らず素のままに生きなさい
 逆風の場こそ君を鍛えてくれる
 信頼こそ最大の援軍
 人は自分を磨くために働く
 「それでもなお」という言葉が君を磨き上げてくれる
 人を愛しなさい それが自分を大切にすることです
 運命を引き受けなさい それが生きるということです


2012年(平成24年)元旦

山  崎   泰
20120104

 


運と愛嬌―松下幸之助翁と野田総理(12月号)

2011年12月6日14:58:00

noda1   松下政経塾塾員会総会

 

11月27日、松下幸之助翁生誕の日に開催された、松下政経塾塾員会総会。

場所は、ANAインターコンチネンタルホテル地下1階。

  午後5時前、懇親会会場の入り口付近で、昔懐かしい同志と話をしていると、回りをSPに囲まれながら、野田総理がエスカレーターに乗って降りてきました。

 総理大臣になられてから、私も初めて野田先輩にお目にかかりました。

 

もちろん総理ですので、立派な来賓といえば来賓なのですが、そこは政経塾。

あくまでも塾員を代表しての塾員報告という形で、野田佳彦・塾員が紹介されます。

年末から来年にかけて、激動が予想される日本。

この国のトップリーダーが、

『何に悩み』

『何を支えに』

『何を考え』

『何をしようとしているのか』

出身母体でもある私達の席での、総理の本音かつ率直なスピーチを、そっとご紹介することで、この国の未来を考える『絆』を深めることができれば嬉しい限りです。

 

とても『愛嬌』のあるほうでは…

 

松下幸之助塾主は、塾生を『運』と『愛嬌』で選んだと言っていましたが、私はとても『愛嬌』のあるほうではありません。

野田さんはご自身でも「どじょう」と称されているように、古くから野田さんの風貌を知り尽くしているOBは、大きくうなずきながら大爆笑!

 そこは、笑うところではありません。

野田さんが、生真面目な顔で旧知の仲間を諭すと、またもや大爆笑!

 

   もっとも政治家に向いていない

 

政経塾に入って、カルチャーショックでした。

同じ1期生の中には、弁舌さわやかな人、スピーチがうまい人、いろいろな人がいて、違和感ばかり。

ここで5年間やっていけるのだろうか。

カリキュラムはないし、田野畑村でのサバイバル研修、今は消えた研修ばかり。

夜思うと、将来、大丈夫なのかなとしか考えていなかった。

もっとも政治家に向いていないうちの一人が、私だと思っていました。

 確かに私も、都会から隔離されたような茅ヶ崎・政経塾寮室の固いベッドに横たわり天井を見ながら、「将来、どうなってしまうのだろう‐‐‐」と漠然とした不安感でいっぱいになったのを、今でも覚えています。


 

ふとした『運』の積み重ねで、ここまで…

 

昭和58年の同期生の県議選で、8ヶ月間運動員として働きました。

ひとつひとつの選挙を、みなが歯を食いしばって支えた時代でした。

昭和62年、政経塾を出た以上は、一回、痛快に選挙をやるしかないと思って、無所属で千葉県議選に挑戦。

いただいた18707票、決して忘れるものではありません。

ブログ9月号でもご紹介しましたが、私が政経塾2年生の時の「62プロジェクト」。

この統一地方選挙の結果次第で、政経塾の運命が決まるという決戦。そんな想いで、本当に不眠不休で必死になって先輩の選挙を手伝ったことが、今の私達の原点です。

あの時の、野田さんの演説、さわやかな戦いぶりは、今でも私達後輩の胸に、深く残っています。

 以来、4半世紀。ふとしたことの積み重ねでした。

落選したこともありました。なんとか返り咲くこともできました。

これも奇跡であり、『運』です。

民主党代表選も、一時は当選圏外とまでいわれました。

決選投票で勝てたのも、これもひとつの『運』だと思っています。

1996年(平成8年)、野田さんが185票差で惜敗した後、新しい政治勢力を創ろうと夜な夜な勉強会を開いたこともありました。

今は、その時の同志が、官邸で、党で、そして国会内外で必死に野田総理を支えているのです。


 

昭和21年と同じくらい厳しい状況

 

大変な時に、95代内閣総理大臣になりました。

復旧・復興・原発事故の収束、日本経済の再生、どれも大きな課題。

これを乗り越えていかなければなりません。

同時に、今の財政状況は、昭和21年並みの状況。

税収よりも、国債に頼らざるを得ない状況なのです。明治以来、統計をとっているが、昭和21年と同じようなことが起こっている、その中でやらなければならないことがいっぱいある。

まさにタイトロープをわたるような、大変に厳しい運営です

欧州の経済危機も、対岸の火事ではありません。

財政規律が緩んでいると思われた瞬間に、イタリアは国債金利7%ですが、日本は3%台になった途端に、予算が組めなくなるのです。

ギリシャに端を発した信用不安は、イタリアだけでなく、フランスやドイツにも広がりつつあります。世界を揺るがしている欧州の債務危機は、巨額の財政赤字を抱え、予算を組むのに国債に頼らざるを得ない日本にとって、対岸の火事ではないと、心の底から思います。

消費税の引上げ余力があることが、日本の長期的な低金利の下支えになっているのも事実です。

年末から来春にかけての「社会保障と税の一体改革」「消費税増税準備法案」などの論議は、日本国内の財政再建のみならず、国内外市場、今後の日本経済、ひいては国際政治にまで大きく影響することが必至だと思うのです。


 

松下幸之助塾主のいわれたことを決して忘れたことはない

 

そのような厳しい状況の中でも、やらなければならないことがいっぱいある。

これから、ヤマがいっぱいある。

江口克彦参議院議員からから怒られることは、とても悲しい。

しかし私は、松下幸之助塾主のいわれたことを忘れたことはありません。

 江口克彦参議院議員は、松下幸之助翁の側近で、PHP研究所社長から参議院議員になった方。無税国家論を掲げた松下幸之助翁の理想はどこに‐‐‐との国会質問を受けた際の、野田さんの心境を語っておられました。

 もちろん、国家百年の大計としては、無税国家、予算の使い切りを改めた税負担の少ない国家を目指すが、今は財政規律を重視しなければならないくらいに国家財政が危機的な状況にあるという想いから、「松下幸之助翁のいわれたことを、決して忘れたことはない」といわれているのだと思います。

 

人生のなかで、いちばんハードな3週間

 

ここ3週間、人生のなかで、いちばんハードなスケジュールを経験しました。

毎週末は、重要な国際会議。

帰国すると毎日、国会審議。

それに耐えながら私は、政治は前進させなければならないと思っています。

 でも、テレビで見ても近くで見ても、昔と比べて痩せていない野田さんを見て、長年の後輩からすると、まだまだハードスケジュールも大丈夫だなと密かに思ってしまいます。 

 それにしても、総理の口から語られる「政治を前進させる」というひと言、さすがに重く感じます。

 

他国との圧倒的な仕組みの違いを、痛感しています。

大統領制は、権限が強く任期がしっかりしていて、拒否権まである。

大統領制ではない2院制。かつ、ねじれている。

そのなかで物事を進めていく苦労。

イギリスは、2院制といえども実質的には1院制。

もっとも苦労しているのは日本だろうと思うのです。

 だからこそ、丁寧に合意形成をしながら、難題課題を乗り越えていかなければならないと思っているのです。

 

「良い仕事をしてくれたな」

 

天上の人となった松下幸之助塾主とお会いする時に、「良い仕事をしてくれたな」といっていただけるようにしたい。

松下さんは運と愛嬌で塾生を選んだといわれました。

私に『運』があるのなら、悪運ではなく「吉運」として、日本を切り開き、元気な日本をつくっていきたい!

 

  私達、政経塾出身の会計人も、財政・税制に関する私的な研究会を創って、野田総理に提言しようという動きになりました。まさに、オール政経塾で良い仕事をしてくれたな、といっていただけるように。


 

厳しい時代を乗り切るには、やはり「人財」

 

sen1まだまだ、日本経済は厳しい状況が続くでしょう。

乗り切るには、やはり「人財」。

 その意味で、松下幸之助翁が『運』と『愛嬌』あるかどうかを、自ら確かめながら面接した逸話には、示唆に富むヒントがあるように思えてなりません(残念ながら、直接面接は5期生までなので、7期生の私は、幸之助翁に運と愛嬌があると認めてもらった訳ではありませんが‐‐‐)。

aisawa 『運』がないと、どんなに立派で優秀な人間でも成功しない。能力が多少欠けていても、何かこいつは運がいいな、というのを集めてくることが組織を成功させるコツだ、というのです。

『愛嬌』があれば、人に好かれ、人が助けてくれ、そういう人間は伸びていくというのです。長年、会社を経営し、人を使ってきたので、そのことは良く分かる、と幸之助翁はいうのです。

『運』と『愛嬌』をもって、衆知を集めることのできるリーダーとなりたいものです。

 

私も東京にいる時は、朝自宅で神棚と仏壇に手を合わせて出勤した後、お榊の水を替えながら事務所の神棚に向かいます。

数年前、伊勢神宮参拝時に、政経塾時代の恩師に「神棚に手を合わせるのは、我がことを祈るためではない」と一喝されてから、時にそっと社員さんの横顔を見ながら祈り続けています。

「今日も一日、社員さんが充実した一日を過ごせますように」

「今日も一日、顧問先様が充実した一日を過ごせますように」

「今日も一日、多くの皆様が健康で平和に幸せに暮らせますように」

 

今年もあと1ヶ月を切りました。

どうぞ充実した一年の締めくくりとなりますよう、心よりお祈りしております。

 

    2011年(平成23年)12月

山  崎   泰


53歳・51歳・50歳――ザ・おやじファイト!?(11月号)

2011年11月3日18:22:00

■ボクシング試合の招待状が…

20111110 10月下旬、顧問先の社長から、お便りとともにボクシングの試合の招待チケットが届きました。
 その社長も、ボクサー出身。
 ボクシング興行のプロデューサーを務めているので、一度見に来てくれないか、という内容でした。

 実は、これまでも何度かお誘いを受けていたのですが、あまりボクシングに関心がなかった私は、顧問先様には甚だ申し訳ないと思いながら、ボクシングの興行収入を監査している担当社員に代理出席を頼んできました。

 今回いただいたチケットは、良く見ると最前列の1番と2番とあります。
 開催地が新宿だったこともあり、地方での顧問先学校法人の理事会から帰京した足で、会場に向かったのです。
 生まれて初めてのボクシング観戦…。

 

■だんだんと、ボクシングにはまって…

 歌舞伎町のビルのなかにある会場に着くと、20代の若い男女でいっぱい。
 髪の毛の色も様々、小さな子どもを連れた若い夫婦、見るからにボクサーの卵のような若い男性、ビールを持ちながら闊歩する膝上ミニスカートの若い女性…でも、なにかとても楽しそうで、会場がエネルギーにあふれているのです。
 好きなことに熱中している、楽しくて仕方がない…そんな熱気を、体全体で感じるのです。

 会場の熱気には酔いつつも、やや場違いのような堅いジャケットを着た私。
 「ここはボクシング好きな若い人たちに任せて、何試合か見たら、誘っていただいたプロデューサーに挨拶して失礼して…」と思いながら席に着いた私。

 しかし、一番前のコーナーリングのすぐ後ろに座って、選手の動きに合わせて、パイプ椅子から右や左に身を乗り出しながら見ているうちに、だんだんとボクシングにはまっていったのです。

 

■“こだま”のようにはね返って

 テレビ中継されるような15ラウンドマッチとは異なり、この日は3分×3ラウンド。
 それだけに、1ラウンドから打ち合いになるケースも多く、KO劇の連続。

 目の前で繰り広げられる、男と男のこぶしのぶつかり合い。
 決してうそ偽りで着飾ることもなく、裸と裸でぶつかり合い、前に向かって戦い続ける。時に立ちすくんで殴られっぱなしでも、とにかく倒れずに踏ん張り続ける。
 倒れなければ、負けることはない。
 倒れさえしなければ、一打逆転で勝つチャンスは決して消えない。
 「逃げるな、足を止めるな、引くな、前に出ろ!」セコンドから、場内から、必死になって応援する声が、場内に響く。
 最終ラウンドになると、フラフラになりながら精神力だけで戦っている。
 時に血を流し、脳震盪でドクターチェックを何度も受けながらも、相手に挑んでいく。
 倒れさえしなければ、勝つチャンスはあるのだと。

 目の前で必死に戦うボクサーを、手に汗を握って、
 「頑張れ!負けるな!引くな!
 「倒れさえしなければ、勝つチャンスはあるぞ!
 と、心のなかで応援しながら、その声が選手から“こだま”のようにはね返って、戦う選手の姿から逆に励まされている自分に気がつくのです

20111109 厳しい時代を生き抜く経営者の皆さんに、是非とも見ていただきたいのです。
 ボクシングのリングサイド席のチケットを、経営の最前線に立たれる顧問先様にお配りしたいくらい…“生きる力”と“倒れなければ勝つチャンスはある”ことを、まさに肌で感じる一瞬なのです。

当日の試合結果はこちら (ゴッド・ブレス・ザ・リング

 

■セミファイナル、生涯現役

 なかでも、最も盛り上がったのがセミファイナル。
 青コーナーから登場した選手に、今日一番の大きな拍手が。
 しかし、色黒の顔、たくましい体つきのなかにも、年齢を感じる選手でした。まるで、戦い続けてきた“明日のジョー”のような感じなのです。

 場内アナウンスが、
 「213戦、175勝、88KO、38敗」
 「生涯現役」
 と紹介すると、それはそれは大きな声援が飛ぶのです。

 30代後半くらいかな。最後に、足が止まらなければよいが…。
 判官びいきで、明らかに年齢の高い方の選手を、自然のうちに応援しているのです。
試合の詳細は、リンク先をご覧いただきたいのですが、年齢の高い青コーナーの選手が、3-0の判定で勝利しました。

 そのときまでは、何も知らなかった私。

 

■53歳、おやじファイト…まさか? 

 試合後、トイレに立ち寄った時のこと。
 「それにしてもすごいな。53歳だぜ」
 という声が、聞こえてくるのです。

 一瞬、「まさか?」と思いました

 「人間業じゃないよな!53歳までボクシングで試合を続けるなんて…」

 セミファイナルに登場した、あの明日のジョーのような選手のこと…

 そのとき初めて、先程のセミファイナルの選手が53歳だったことを知りました。
 その驚きといったら、ありません。
 なんと、私よりも年上の選手が、血を流しながら、ドクターチェックを受けながら、ついさっきまで目の前でボクシングを戦っていたのですから。

 あの会場からの万雷の拍手・声援は、このことだったのか―-。
 そういえば、勝利者の手を上げるレフリーまで、感動の面持ちで、目を潤ませながら勝利者の肩を叩いていたことを思い出しました。
 後日プロフィールを見ると、33歳以上のボクシング大会、ザ・おやじファイトのミドル級王者と紹介されていました。



■51歳、フルマラソンに挑戦!

 この度、税理士法人を、『TFS国際税理士法人』に商号変更いたしました。

 急速に展開する中小企業の海外進出に備え、中国アジア業務本部を西新宿オフィスに設置することといたしました。中国人スタッフとともに、とくに中国・アジア方面への中小企業の海外市場拡大等のコンサルティング部門を強化して、顧問先様の市場拡大に貢献できればと思っております。

 これまでの国内における税務会計&コンサルティング業務の強化はもとより、新たに国外に目を向けた業務を展開することで、より広範囲のニーズにお応えしていきたいと、意気込んでいます。

 税理士法人の商号変更にともない、新たにパートナーとなる代表社員として鵜高利行 公認会計士・税理士を迎えました。
 鵜高利行・代表社員とは、20代の青年会議所活動の頃からの長年の友人でもあり、様々な地域貢献活動も一緒に行ってきました。まさに仕事のみならず、社会活動で目指しているベクトルが一致している、私にとってかけがえのないパートナーです。

 年齢は、私よりも1歳年上の51歳。
 毎週日曜日朝には、マラソン・トレーニングを欠かさず、今週末にはフルマラソンに出場予定。いつも神楽坂オフィスと四谷オフィスを自転車で行き来する、スーパー・タフな会計士です。
 新宿シティハーフマラソンで、いままでの10kmから来年はハーフマラソン挑戦、と意気込むだけで、いまからドキドキしている私とは、鍛え方が違います。

 何卒、末永く宜しくお願い申し上げます。


■53歳、51歳、50歳――ザ・おやじファイト!

 53歳、大江至。生涯現役のおやじファイトボクサー。

 51歳、鵜高利行。フルマラソンに挑戦し続けるタフネス・会計士。

 50歳、山崎泰。ハーフマラソンでドキドキしている鍛え方が足りない税理士。

 年齢は少しだけ違っても、ともに全力で生きて、人生で触れ合う多くの人に「勇気」と「元気」と「希望」を運びたいとの思いは同じはずです。

 ザ・おやじファイト!

 50歳からの生き様が、“こだま”のように社会に勇気を与えることができたら…こんなに嬉しいことはありません。

 

2011年(平成23年)11月

山  崎   泰


『日本の政治の早い動きをつかむには、松下政経塾!?――ワシントン・レポート』

2011年10月7日12:41:00


■野田首相・玄葉外相就任直後の訪問だけに---

16 9月初旬、ワシントンを訪問。
 訪問団の団長は、上甲晃・元松下政経塾塾頭。
 図らずも、ちょうど数日前に政経塾出身の野田首相、玄葉外相が誕生しました。
 その直後でもあり、なおかつ政経塾時代の恩師が団長ということもあって、米国政
府・議会・シンクタンク、そしてマスコミ関係者からも注目を集める訪問となりました。

 米国大使館、米国議会はじめ、訪問した各地各所で異例の待遇なのです。
 「政経塾での教育方針、政経塾時代からの足跡を聞くことができれば、今後の政策
や日米関係への姿勢などのヒントが得られるだろう」
 大変お世話になった日本大使館も含めて、こんな感じなのです。
 これは偏に、政経塾のおかげ、野田先輩のおかげ、いや我らが恩師である上甲団
長のおかげにほかなりません。


■「日本の政治の早い動きをつかむには、松下政経塾」

 米国きっての知日派で知られるCSIS(米戦略国際問題研究所)日本部長・マイケル・グリーン氏が、シンクタンク主催の会合の冒頭、こんな挨拶をしていたのが、とても印象的でした。
 「上甲晃氏は、松下政経塾の塾頭として、新しい世代のリーダーを育ててきた」
 「野田佳彦氏、前原誠司氏、玄葉光一郎氏が、まさにそうだ」
 「山田宏氏からは、野田内閣の展望とともに、新党をなぜ創設したのか、同じ政経塾としてどう協力していくのかも語っていただきたい」

 そして、最後のコメントがとても印象に残ったのです。
 「日本の政治の早い動きをつかむには、松下政経塾がポイント!」
 “Power” of Matsushita Institute of Government &Managementと、パワーという言葉を使っていたのには、さすがに驚きました。
 一大勢力という認識なのでしょうか。


■子供のことを心配する親の気持ちのよう---

 グリーン氏の紹介を受けて、上甲団長が挨拶。
 「松下政経塾出身の野田首相誕生は、誇らしい気持ちとともに心配な気持ち。子供のことを心配する親の気持ちと同じ。」
 「松下幸之助が齢85歳で政経塾を創設したのは、決して金持ちの道楽ではない。21世紀の日本のことを、真剣に心配していた。明確な国家としての理念・国家百年の計がない‐‐‐と」
 上甲団長は、食い入るようにメモをとる外国人記者の前で、さらに幸之助翁の政経塾にかけた思いを語り続けるのです。
 「日本の政治家は、目先にとらわれがち。それでは、日本は必ず行き詰まる。」
 「幸之助は、首相や外相を出すことを願ったのではない。明確な意味で、理念をもって世界に貢献できるリーダーを出すことを願った。」
 そして最後に念を押すように、
 「野田、玄葉氏も、その理念をもってあたってくれていると信じている。」
 この言葉を、野田さんや玄葉さんにも伝えなければ‐‐‐同じ政経塾で教わった一人として、そう強く思ったのです。


■日本の存在をアピールし続ける駐米大使の苦悩
 
20111019 マイケル・グリーン氏との会合から遡ること半日。
 今回のワシントンでの一連の訪問は、藤崎一郎・駐米大使への表敬から始まりました。

 「世界の中での日本の位置付けを、米国各地でアピールしているのです。」
と、大使自らが『What Japan Is in the World』(世界の中での日本)と題する資料を手に、熱心に説明してくださる姿には敬服しました。

1.Population(人口)に関して、
 Least Obesity Rate (非肥満率)は、Male(男性)が2.9%で2位、女性は3.3%で1位。
 Life Expectancy at Birth(出生時平均寿命)は、82.73歳で日本が世界1位。
 Population over 65(65歳以上の人口)は、22.7%で日本が世界1位。
 まずは、日本がいかに健康で長生きの国かをアピールして‐‐‐。

2.Education(教育)に関しては、
 Punctuality( % of students not late for school in the last 2 weeks)  2週間以内に学校に遅刻をしなかった生徒の割合は、92.6%で日本が3位と、日本の勤勉性を強調しながらも、さすがにこの辺で米国にも配慮してNobel Laureates(ノーベル賞受賞者数)は、326人で米国が世界一と持ち上げてみせるのです。
 日本のトップセールスマンとしての大使も、本当に大変です。


■ミシュランに載っている三ツ星レストランの数?

3.Society(社会)に関しては、
 Number of International Migrants(移民数)は、さすがに米国が世界一。
移民の国といわれる所以です。
 面白いのは、
 The number of the 3-star restaurants (the Michelin Guide 2010) ミシュランガイドに載っている三ツ星レストランの数、日本が26で世界一なのだと、大使に教えていただきました。
 大使に三ツ星レストランの数まで教えていただくと、あまりに申し訳ないような、でもなにかホッとしたような温かな気持ちになってしまうのが不思議です。
 日本人の我々がそうなのですから、米国人はなおさらでしょう。 
 きっと、日本に親近感を覚えて聞いていただいていることでしょう。

 17


4.Economy(経済)に関しては、
 Unemployment Rate (May 2011)  失業率は、4.2%で日本はベストワン。その一方で、General Government Gross Debt(債務残高のGDP比率)は、212.7%とワーストワン。


■中国の台頭も横目で見ながら‐‐‐

 大使のプレゼンテーションの後半は、
 『What Japan Does in the World』 (日本は、世界で何をしているか)です。

1.UN Contribution (2010) and Official Development Aid Contribution 

 国連やODAの貢献額では、米国に次いで2位の座。

2.Carbon Emission caused by Producing Dollar of GDP 

 同じGDPを生むために排出する二酸化炭素の量では、日本がいかに低く、環境に配慮した国であるかが数字に如実に表れています。
 いずれも、日本の世界に対する貢献(Does)を示しているのです。

18 そして、最後には台頭する中国の新幹線事故をチクッと刺すように、
 High Speed Railways in the World (世界の高速鉄道)の比較表も用意されていました。1964年開業と、いかに日本が高速鉄道建設に先行着手し、長い歴史をもっているかとともに、Experience in Safety(安全経験)を、頭文字をとって9つの“E”のトップバッターとしてアピール。
 まさに高速鉄道は日本へ---という感じです。


■アーミテージ・元国務副長官~なぜ150カ国もが日本を支援したのか!

20111018 大使室を出て、大使館内会議室で待っていると、日本のテレビでもおなじみの笑顔でアーミテージ・元国務副長官が会議室に入って来られます。
 親日派のアーミテージ氏だけに、震災2ヵ月後には来日したという話から切り出されました。
 「被災地を見たときは、まさにUnbelievable(信じられない)光景だった!」
 「しかし、日本が様々なグローバルな問題に対して第一線に立つ国であって欲しいから、150カ国もの国が支援したことを忘れないで欲しい」
 そして共和党だけに、日本の防衛力増強を、念を押すように強く求めるのです。
 「1960年の日米安保以来、人道的な慈善事業で在日米軍を送り込んでいるのではない。米国の利益にもなるからだ」
 「方向性としては、日本の防衛力予算の強化を。」
 「そのためにも、外務大臣・防衛大臣が、米国と早期にカウンターパートとして同盟力を強化できるように、話し合う機会を早期に作るよう、野田首相が指示して欲しい。」
 確かに米国の立場からは、当然の主張だろうと思うのです。


■オバマ大統領は、Accidental President???

 民主党のオバマ大統領へのコメントも、かなり辛らつです。
 「オバマは、決して先頭に立つタイプのリーダーではない。いろいろな人の意見を聞いてまとめ上げていく、コミュニティ・オーガナイザー。」
 「言ってみれば、Accidental President(たまたま偶然なった大統領)だ!」

 最後に、野田新首相とオバマ大統領へのアドバイス。
 「再選のことは考えるな。」
 「自分の国、国民のために、やるべきことは何なのか、を考え、手を携えて頑張って欲しい。」
 長年、日米関係を心配し続けてきたアーミテージ氏。
 政党の枠を超えて日米のトップに関係強化を期待し、託している胸の内が、ひしひしと伝わってくるようでした。

19


■シーラ・スミスCFRシニア・フェロー~しっかりと再興を遂げた日本の存在が必要! 
 
20111017 CFR(Council on Foreign Relations)米外交問題評議会は、民主党系のシンクタンク。 
 なかでも、シーラ・スミス氏は、日本語までも流暢に話します。
 野田新首相選出後、すぐに「FOREIGN AFFAIRS」にコメントを配信するなど、まさに日本通です。

 「日米のパートナーシップという点からだけでなく、強い、しっかりと再興を遂げた日本の存在が、北東アジアにとっても重要だ。」
 「経済的、政治的、社会的にも、強い日本を望んでいる。」
 「中国をいかに巻き込みながら、北東アジアを安定させていけるかという点がポイント!」
 スミス氏は、“engage”という言葉を使っていたのです。
 この単語には、「従事する」「携わる」という訳から、さらに「引き込む」、反対に「交戦する」という訳まであります。
 中国をいかに引き込むか、引き込みに失敗すると交戦までありうるかも?‐‐‐そんな単語の意味合いが、今後の日・米・中の緊張感ある関係と、無縁とも思えないのです。
 
 日本で11月までの懸案になっているTPP加入に関しても、はっきりとコメント。
 「TPPは平等でオープンな通商システム」
 「特に中国との関係でも、日本の参加・協力がなければ成り立たない!」


■ダニエル・イノウエ上院議員、87歳の誕生日に

20111006 日米関係にとってなくてはならない知日派・親日派の代表格であるダニエル・イノウエ上院議員との面談は、日米関係を心配して渡米した我々にとっては感動的でした。
 福岡県八女市出身、日系二世、ハワイ州選出、民主党。上院議員として51年。
 上院の歳出委員長という、副大統領に次ぐ要職を務められています。今年の6月には、日本で叙勲まで受けられています。
 ちょうど、訪問した9月7日は、ダニエル・イノウエ議員の87歳の誕生日。

 「3月11日の、Tomodachi Operation(友達作戦)は、日米関係がいかに素晴らしいかを示した。言ってみれば、兄弟のような関係だ。」


■最大の懸念は、「普天間の辺野古移転」と「海兵隊のグアム移転」

 「でも最大の懸念は、普天間の辺野古移転と海兵隊のグアム移転。」
 「11年前に、辺野古移転とともに、海兵隊+家族の18,000人を沖縄からグアムへ移転するという合意をした。日米双方で合意した、最も力をもつ合意のはずだ。調印された合意が、実施されないまま今日に至っている。」
 日米関係を長年最も心配しているトップの言葉だけに、ずっしりと重く響きます。

 「日本は、6年間で7人の首相。その都度、外相も防衛相も交代する。各内閣は、その都度、日米合意にコメントしたがる。これでは、交渉するのが難しい。」
 「その間、米国は10億ドルを使って、グアムへの受け入れを準備してきた。待ってきた分、当初よりかなりコスト増になってしまっている。これ以上、遅延することなく、早急に解決することを強く望んでいる。」


■握手する姿に、日米の“絆”を

20111015 私が現役でいるうちに、日本サイドで解決してくれ。
 国家間で約束をしたことは、守って欲しい。
 予算の確保もあり、これ以上は待てない。議会が持たない‐‐‐ギリギリだ。
 日米関係を守り続けてきた我々の立場もわかって欲しい。

 静かに語る姿が、かえってダニエル・イノウエ議員の、そんな心の声を届けているようでした。

 1941年12月、米国在住日系人を敵国民に指定。敵国民に指定された70年後の今、上院NO3のポジションに立つダニエル・イノウエ議員。

 第2次世界大戦(対独戦)で失った右手に代わり、左手で一人一人と握手を交わす姿に、戦争をも越えてきた日米の“絆”の長い歴史、支えてきた人々の重さ、そして未来へ継続する大切さを感じざるを得ませんでした。

        2011年(平成23年)10月 
山  崎   泰
<追 記>
アナポリス(米国海軍士官学校)視察でも、中国に比べて日本の存在が低下しつつある懸念が、頭から離れませんでした…。
 
20111013 20111012 20111014

『松下政経塾初の首相誕生』

2011年9月2日16:10:00

■4半世紀前の『62プロジェクト』

 昭和62年4月の統一地方選挙に向けて、当時、私の在塾していた松下政経塾において「62プロジェクト」という研修が組まれました。
 政経塾として、初の大型地方選挙を迎えるにあたり、統一地方選挙に向けて活動している諸先輩の事務所に、現役塾生が政治実践研修に赴くというものでした。
 よくよく考えてみると、もう四半世紀も前の出来事になります。

 この「62プロジェクト」が、ちょうど野田佳彦さんが千葉県議会議員選挙に初挑戦した選挙です。他の候補者には、神奈川県議会議員選挙に初挑戦した松沢成文さんなどの先輩方も。

 

■「野田学校」のスタート

 当時、現役塾生だった私は、政経塾の地元・茅ヶ崎から神奈川県議選に立候補した先輩の事務所で実践研修。
 私の同期や後輩の多くは、船橋にある野田佳彦さんの事務所に実践研修に。
 数ヶ月間の研修を終えての、実践研修報告会。野田さんの事務所から帰ってきた仲間が、高揚感に満ちた面持ちで、選挙での感動を語る姿に、野田さんの人となりを見る思いでした。数ヶ月間も、寝食をともにして選挙を支え、支えられる日々を送ると、深い信頼で結ばれた特別な関係が築き上げられるのです。

 おそらく今回、野田さんの民主党代表選挙を支えた野田グループにも、この62年の選挙をきっかけに野田さんを支え続けてきたメンバーが多くいたことと思います。
 この昭和62年が、野田さんの政治活動の原点であり、24年間続く毎朝街頭演説のスタートでもあり、私達後輩も、徒手空拳でも志さえあれば日本を変えられるとの思いを固めることのできた、いわゆる「野田学校」のスタートだったように思います。


■この人が首相になったら、日本は変わるだろうな!


 これまでそっと胸の中にしまっていたのですが、実は政経塾創成期の先輩方の中で、「この人が首相になったら、日本は変わるだろうな!」と心ひそかに思ってきた方が3人います。
 ちなみに、私は7期生、前原誠司さんは8期生ですので、創成期といえば“政経塾が海のものとも山のものともわからなかった”まさに1期生・2期生を中心とした先輩方です。

 そのうちのお一人が、もちろん野田佳彦さんです。
 人格・識見はもとより、ぶれずに信念を貫く姿勢、一度やると決めたらやり抜く姿勢、忍耐強く物事を進める姿勢、25年間本当に敬服しながら後姿を見てきました。何よりも今、日本のトップリーダーに求められている姿勢のように思うのです。

 私は政経塾の後輩でもあり、あまりにも長いので、過大評価分を差し引いていただくとしても---いずれにしても、「この人が首相になったら、何かが変わる!」ということだけは、早晩ご理解いただけるのではないかと思います。
■野田新代表選出の一報

20110905 実は、野田新代表選出のニュースは、滞在先のUAE(アラブ首長国連邦)で知りました。
 ちなみに、日本との時差は、5時間。
 UAE第2の都市・ドバイのホテルで、朝食後に部屋に戻ると、iPhoneに多くの方からのメッセージが残されていました。

  「政経塾初の総理、おめでとう。みんなで、野田さんを支えて頑張って!」

  代表選のゆくえは、かなり気にはなっていたのですが、留守電の声の後ろから、野田新代表選出を報じるニュースが流れていて、その留守電で民主党代表選の結果を知ったような次第です。
 最初に電話をいただいたのは、政経塾のお膝元・茅ヶ崎から、それも昭和62年選挙で、まさに寝食をともにして戦った方からでした。
 25年間、まさに政経塾からの総理誕生を待ちわびてくださっていたようでした。


■政経塾時代の恩師からのメール

 野田佳彦さんの選出を予期するかのように、当時の上甲晃・塾頭から当日朝、このようなメッセージが‐--。

  松下幸之助は、晩年、「日本の国はこのまま行ったら、やがて行き詰る」という強い危機感を持っていました。

 「なぜ、このまま行ったら日本は行き詰るのか?」。私はある時、松下幸之助に、ずばり質問をしたことがあります。答えはまことに明快でした。

 「日本には、国家百年の計が無い。百年掛けて、こんな日本を創ろうではないかといった大きな思いが無い。みんな、その日暮らし。目先の利益に追われ、自分の利益だけに追われているから、やがて日本は行き詰る」と言い切りました。

 数年前、野田さんが座長になって、政経塾の政経研究所で「国策研究会」 という勉強会を立ち上げたことがありました。
 まさに、「国家百年の大計」を創るべく、立ち上げた勉強会。

 毎回全出席、膨大な事前資料の読み込み…野田座長のあまりの厳しい姿勢に、参加をためらった自身が、今となっては情けない思いでいっぱいです。



■ドバイでも、日本を心配する声が‐‐‐

20110902 リーマンショックで大きな打撃を受けたドバイ。
 その影響で、アラビア海の上に浮かぶ人工島、パーム・アイランドなどの大規模建設が一時期ストップし、人口の8割ともいわれる外国人労働者がドバイから離れつつあると、日本でも大きく報道されたことがありました。
 しかし、パーム・ジュメイラと呼ばれる人工島の中心部では、ホテル建設や別荘分譲などが再開され、ドバイ全体も着実に経済成長が戻って、大きく活気を取り戻しているというのが実感です。

 ラマダン、いわゆるイスラム暦の第9月が明けたのが、今年は8月29日。
 日中の飲食等が禁止され、禁欲的ともいえる一ヶ月間を送ってきたイスラム教徒が、ラマダンが明けるとフェスティバルと称して、一斉に街に繰り出します。

 8月30日、ラマダン明けのドバイ・ショッピングモール。
 アラブ諸国からイスラム教徒がドバイに集まり、そのドバイの中でも最もにぎやかといわれるモール。
20110904 一年で最もにぎわう日とはいえ、モールから買い物帰りのタクシーに乗るのに2時間超。海岸近くの施設も、入場制限するほどの盛況ぶり。

 やっと乗れた帰りのタクシーの中でも、地震後の日本を心配する声が。
 アラブ人のみならず、スリランカ人、バングラデッシュ人、インド人等々、多くの外国人労働者からも日本を心配する声が聞こえてくるのです。


  
■税金も社会保険料もないドバイ

 
ちなみに、ドバイは税金なし。
 社会保険料もなし(ただし、外国人は診療の都度、50DHS(約1100円)支払)。

 地元のアラブ人給与所得者の月収は、およそ50万円。高収入なうえに、税金がかからないので、可処分所得は日本より相当高くなっています。
 石油の恩恵とはいえ、やはり税金のないことがどれだけ国民生活を豊かにするかということを強く感じざるを得ません。

20110903 ここドバイでも、中国の勢いには驚くばかり。
 古くからのイギリス・ドイツからの観光客数を勝る勢いで、中国人観光客が急増しているのです。
 私の宿泊するホテルでは、宿泊客のなんと50%が中国人。イギリス・ドイツ・インド・日本が10%程度とのこと。
 ホテルに、バスをチャーターして中国人が大挙して乗りつける姿を見るにつけ、残念ながら国の勢いの違いを感じてしまうのです。

 

■財政再建・経済成長・復興増税‐‐‐
 
 
野田新首相は、「将来世代に負担を先送りしない」と復興増税を決断されるでしょう。
また「経済好転を条件に、財政再建と成長を両立」としつつも、基本的には消費税増税に踏み切られることと思います。

 そもそも、松下政経塾が創設された原点のひとつは、松下幸之助翁が提唱した『無税国家論』のあくなき探求。政経塾生に託した大きな想いのひとつです。
 企業にとっては無借金経営がベストであるように、国家も財政赤字を解消して、いつの日か無税国家を目指して欲しい、との祈りともいえる構想です。

 野田新首相が、一時期の増税に踏み切ってでも『財政規律重視』にこだわるのは、間違いなくこの原点があるからだと思います。

 図らずも、無税のドバイで野田新首相誕生の報に接した縁を深く感じつつ、そして税の負担なく再び急成長しつつあるドバイの街並みを見ながら、このメルマガを皆様にお届けしています。

 長年、野田さんの後姿を見ながら、同じ志を培ってきた後輩の一人として、些かなりともお役に立ちたいと誓っています。

                      

平成23年(2011年)9月     
山 崎  泰  

                                
 

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『五十而知天命(五十にして天命を知る)』---今月のメッセージ(8月号)

2011年8月5日16:58:00

■『中国アジア進出ネットワーク』の反響

2011087 先月7月号のブログで、中小企業を含め、急速に進みつつある日本企業のアジア進出を背景に、ハノイ・ホーチミンの現地状況をレポートしました。
 ブログ配信と同時に、反響が少なからずありました。
 日本国内市場の縮小中小企業でも高まりつつある海外市場進出の検討、さらに現実になりつつある日本の空洞化への懸念、しかしいつまでも経っても内向きで危機感に欠ける日本政治への憤り・失望等々ーーーお寄せいただいたメールのひとつひとつが、この国の向かいつつある危機に気づき、不安感を抱かれている証だと感じながら、返信を差し上げました。

 もちろん、すぐに海外展開を、などと性急に申し上げている訳ではありません。しかしながら、海外に市場展開している企業の方が、国内市場に留まる企業に比べて、売上・利益ともに伸び、黒字化していることも時代の流れであることは事実です。
 海外市場拡大や海外生産力の活用等は、もはや大企業のみならず中小企業も直面する問題であることを、まずはしっかりと認識する必要があろうかと思います

 「私よりも今度、息子を一度、中国に連れて行ってもらえないだろうか。長い意味で、これからの経営者としての視野を広げるだけでもいいので---」
 こんな声にもお応えして、今月は中国レポートです。


■中国・上海事情

2011082 アジアでは、やはり中国、なかでも上海・香港に関する相談が多く寄せられます。
 7月上旬、上海出張。 万博も終えて、街の発展が著しい上海。

 高層ビル、マンションも日々、増えているかのようです。
 上海だけで、100m超の建物が、6000棟。
 152m超の建物が、800棟。地下鉄が、15本。GDPは、中国全体の5%。
 まさに、中国の成長を牽引している上海。

『点』から『面』『圏』の発展を急ぐあまり---

2011083 ちょうど、6月30日に上海〜北京間の新幹線が開通。1400㎞弱を5時間で結ぶのです。
 料金は、一番安い席で約410元=5400円くらい。
 東京〜博多間が1100㎞で21000円(自由席)なのに比べれば、比較的安く感じます。

 私自身も、上海から蘇州までの移動に中国高速鉄道を利用しました。まさに、あの事故を起こしたのと同じ「和偕号」です。
 料金は、片道40元円程度。距離も近いので、料金は安く済んだのですが、高速鉄道とは言い難い古びた汚い外観に、「これが新幹線、大丈夫?」と一瞬思ったのも事実です。

 これまでの中国は、北京なら北京、上海なら上海というように、あくまでも『点』としての都市の発展が中心。
 それが、『点と点』を結ぶ『面』、さらに広げて『圏』として、急速な都市間のネットワーク化を展開しています。
 7月23日、温州市で起きた中国高速鉄道事故。
2011084 この事故も、北京、上海、広州、深圳、南京などを、いかに高速鉄道網を使って短時間で 結ぶかという、国策ともいえる『面』『圏』展開を、あまりにも急ぎ過ぎた過程で起きた惨事といえるでしょう。

赤い資本主義 

 7月1日は、中国共産党90周年記念日。国内テレビも胡錦濤国家主席の演説に多くの時間を割いていました。
 約9000万人ともいわれる共産党員---そして共産党一党支配。
 自国をして「赤い資本主義」と評していた中国人もいましたが、これだけの経済大国と共産主義が同居している不思議を感じざるを得ません

  

上海=「混乱しているが、発展している」「発展しているが、混乱している」

 最近、中国進出に関連するご相談が多いせいか、地元弁護士による「進出に伴う相談事例」の話には、聞く方の私達も自然と体が傾きます。
 弁護士曰く、
 「混乱はしているが、発展している」のが上海
 「発展しているが、混乱している」のも上海
 なるほど、 言い得て妙だと感心しながら聞いていました。
 
 上海に進出している日系企業が抱えるトラブルの御三家は、①労務、②債権回収、③知的財産権。特に、2008年に労働契約法が発布されてからは、労務問題を抱える企業が多いのです。

 労務問題を避けるべく、留意すべきポイント!

①中国人幹部について
 目を見張りながら活用すること。活用はするが、一方では100%は信用していないことが伝わるようにしておくこと。

②中国人従業員について
 会社に付いて行くのではなく、『人に付いて行く』ことを忘れないこと。
 面倒をみてくれた(採用してくれた)総経理に付いて行く---といったようなことは頻繁に起きるといいます。
 特に、ヒトやカネに制約のある中小企業は、一人二人の少数幹部に任せがちになるので、要注意です‼


第4次中国進出ブーム

2011085 日系企業にとって、今は第4次中国進出ブームといわれています。
 第1次は1980年代、第2次は1990年代、第3次は2000年~2007年、そして2010年~の第4次ブーム。 
 第4次ブームの特徴を整理してみると---

  • 中小企業の進出が目立つこと。
  • これまでの、「中国で製造→日本で販売」から今回は、「日本で製造→中国で販売」または「日系企業が中国で製造→中国で販売」
    という形態に変わったこと。
     要は、日本の購買<中国の購買力となりつつあるという厳然たる傾向に、経済市場が敏感に反応しているということです。
  • 合弁会社が増えていること。

 それも形態は、日系企業+中国企業のみならず、(新規進出)日系企業+(既出)日系企業という合弁も増えているのが特徴です。
 さらに、合弁ではなく外資だけでの会社設立等も、以前に比べるとかなりハードルが低くなりつつあります。


ワンストップで日系企業誘致~蘇州工業団地  

 私が日本を発った7月2日、日本経済新聞一面に、三越伊勢丹HDが、中国・蘇州に売場面積15万㎡の百貨店開設という記事が載りました。
 日本での新規店舗開設ではなく、蘇州も含めて中国で4店舗開設するとの報道に、目を見張りました。

 ちょうど、その2日後。その蘇州の地に入りました。
 既に海外から4000社が進出する蘇州工業団地。うち日系は400社、日本からの駐在者は約6000人。
 不動産価格は、上海の1/3程度。最低資本金は1万元、中国の最低資本金は10万元であるのに比べて、特区としての優遇措置をとっています。
 会社設立までは、約2週間。数ヶ月かかる中国としては異例の速さです。法人関係の関係部署が、特区に集約され、進出企業はワンストップでサービスを受けられるように配慮されていまるのです。
 まさに、国策ともいえる海外企業誘致。
 大規模な商業施設や住宅、そしてゴルフ場までも備える蘇州工業団地---三越伊勢丹HDが、日本を超えて店舗進出する理由もよく分かるような気がします。


■米デフォルト(債務不履行)危機は、対岸の火事ではない!?


 8月2日、米国の連邦債務の上限をめぐる問題は、期限間際で米議会が合意に至り、デフォルト(債務不履行)という最悪の事態だけは回避しました。そもそも米国では、医療費や年金等による政府による無尽蔵な借金増を抑制すべく、法律で債務残高の上限を決めているのです。

 米国の過剰債務は、2008年秋の金融危機後の財政支出に端を発しています。
翻って、今の日本。
 東日本大震災からの復興、膨張し続ける社会保障費等の財政支出。その一方で、財源を賄うための増税すら明示できない政治。デフォルトのリスクは、米国より高いかもしれません。

 同夜、税務当局との意見交換会。
2011086 その席でも特に経営者の間から、将来的な日本のデフォルトへの強い懸念が寄せられました。
 「政経塾の先輩でもある財務大臣に、よく伝えておいて欲しい!」。

 「野田大臣は1期生で、国家財政を立て直すという松下幸之助翁の理念を、もっとも理解している方のはずなのでーーー」としか言えない私。


■『五十而知天命(五十にして天命を知る)』

 「政治」と「経済」の対立。
 一向に有効な手を打てない国内「政治」に見切りをつけて、海外にシフトする「経済」
 政府・与党のなかに、本当の実体経済を知り、厳しい経営を乗り切ってきた経験をもつ政治家があまりにも少な過ぎるからなのではーーーとも思いたくなります。

 企業の苦しさを最も身近で見続けている職業会計人として、何ができるのだろうか。

 子曰、
 「吾十有五而志干学」(十五にして、学に志す)
 「三十而立」    (三十にして、立つ)
 「四十而不惑」   (四十にして、惑わず)
 「五十而知天命」  (五十にして、天命を知る)
 「六十而耳順」   (六十にして、耳従う)
 「七十而従心所欲、不踰矩」(七十にして、心の欲する所に従って、矩を踰えず)

 論語第二編「為政」にある、孔子の言葉を何度も反芻しつつも、『天命』を悟りきれていないもどかしさを抱えながら、8月1日に50歳を迎えました。

                      

平成23年(2011年)8月     
山 崎  泰  

                                
 

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『製品ライフサイクル』と『国別ライフサイクル!?』……今月のメッセージ(7月号)

2011年7月20日21:44:00

■急激に増えつつある、中小企業のアジア進出相談

 最近、中小企業からアジア進出に関するご相談を受けることが大変多くなってきました。
 日本にいると、アジア進出は自動車などの大手メーカーだけという感覚を持ちがちですが、中小製造業や中小サービス業からの相談が増えているのが昨今の特徴です。
 6月中旬にはハノイ・ホーチミン、7月初旬には上海・蘇州等と、私自身も毎月のように顧問先様に同行してアジア各国に出張・視察する機会が増えてきました。
 建築資材会社から、
「東日本大震災後で不足する建設資材輸入に関して、上海に一緒に行って欲しい」
 東北地方の方から、
「上海の百貨店で東北の高級日本酒を販売してみたい。市場調査に一緒に行って欲しい」
 印税収入のある個人事業主の方から、
「香港に居住地を移したらどうなるのか、8月に香港に同行して欲しい」―――
 といった相談が、顧問先様から連日のように寄せられます。
 特に、日本市場が縮小気味の昨今、成長するアジア市場や安い労働力市場を目指して、中小企業が進出するケースが増えています。


■ベトナム・ハノイ事情

2011071 6月中旬、顧問先企業に同行してベトナム出張。首都ハノイ~ホーチミン市まで、ベトナムを縦断して現地市場調査。
 まずは、空路ハノイへ。 
 成田からハノイまで、約5時間半。
 時差は、日本より2時間遅れ。
 日本時間の夕方にハノイに到着しても、まだ陽が高く明るくて、2時間、得をしたような気持ちになります。
 
 ベトナムの人口は、約9,000万人。合併後の首都・ハノイは、約700万人。ホーチミンも700万人超。
 「若い人が多いので、近い将来、人口1億2,000万人の日本を超しますよ」と、現地ガイドがやや申し訳なさそうに言う姿に、日本の少子化をここでも痛感。
 ちなみに、平均寿命は男性70歳、女性72歳。ここでも日本の高齢化のほうが、はるかに進んでいることわかります。

 ハノイから高速道路~国道1号を通ると、国道の分岐点には、日越の国旗が揃って掲げられています。高速道路が日本のODAで完成したことを記した、「感謝」と「友好」の証です。


■17%
の超インフレ

 2005年から、過度のインフレ。
 紙幣も、200~50万ベトナムドン(VND)まであるくらいです。
 インフレ率は、なんと17%。このままインフレが続けば、近いうちに、100万VND紙幣まで発行されるだろうとのこと。
 ちなみに、この日のレートは1円=246VND。
 建物に比べて、土地が高いのも特徴です。ハノイ中心部では、80万円/㎡、郊外でも2万円~3万円/㎡という土地価格は、日本とあまり変わらないかもしれません。
 建物建築費は、3階建てで350万円。マンションはあまり人気がないとのこと。価格は、100㎡で2000万円、20万円/㎡くらい。


信号に止まっただけで分かる---ベトナム進出の理由

2011072 それにしても、車に落ち着いて乗っていられないのが、良くも悪くもベトナムの特徴です。
  高速道路では、中央分離帯のすぐ脇を逆走してくる自転車に出くわしたくらい。日本の常識では、考えられません。
 一般道でも、ほとんどないに等しいセンターラインをまたいで、追い越しに次ぐ追い越し。
 何度、ヒヤッとしたことか。
 この国では、車の隙間を縫うように追い越し続けることが、上手な運転というのか、と思ってしまうくらいです。
 信号もほとんどないので、なおさらです。

 時々しかない信号で止まると、百台は優に超えるバイクの列。

 それも、ほとんどが二人乗り。
 HONDA、YMAMAHA、SUZUKI---まさに、日本企業が競ってベトナムに進出する理由が、信号に止まっただけで分かります


過去の蓄積でODA支援?

 高速道路はじめベトナムの各地で、日本のODAが多大なる貢献をしていることは、確かに多くのベトナム人から感謝されています。

 国の成熟期を過ぎ、衰退の懸念が指摘される日本。
 その一方で、平均年齢が日本より20歳も若く、国の成長期を感じさせるベトナム。
 衰退期に入りつつある国が、成長期に差しかかった国を過去の蓄積でODA支援し続けるやがては、世界の投資も、衰退国から成長国にとって替わられる、そんなことにならなければよいが---と思わずにはいられません

  一日の仕事を終えてハノイのバーで寛いでいても、「混んでいて、キッチンから食事が上がって来るのが遅くて---」と女性店員がお詫びに来るほど、夜遅くまで賑わっているのです。


製品ライフサイクル曲線 

plc  経営学で、「製品ライフサイクル曲線」というものがあります。
 どんな製品にも、ライフサイクルというものがあり、「導入期」→「成長期」→「成熟期」→「衰退期」という、上っては下る曲線を辿るものなので、企業は成長する製品開発に務めなければならないという、考え方です。

①「導入期」は、製品が市場に導入されて販
売開始され、徐々に販売数が伸びていく時期。
しかし、市場へ製品を導入するためのコストがかかっているために、利益は低い時期です。

②「成長期」は、製品が市場で受け入れられ、大幅に利益が得られる時期でもあります。

③「成熟期」は、製品が市場にほぼ行き渡り、成長期に比べて販売の伸びが減速する時期。
 この成熟期の長短が、その製品自体のライフサイクルを決め、製品が生み出す利益総額に決定的な影響を与えるのです。

④「衰退期」は、市場における製品の売上が減少して、それに伴い利益も減少していく時期です。


■国別ライフサイクル曲線

 翻って、今の日本とベトナム。
 この「製品ライフサイクル曲線」に似ているように思うのは、私だけでしょうか?
 ベトナムは、国としては世界市場が注目して、大幅な成長の見込める「成長期」。
 日本は、過去の蓄積はあるものの、市場が縮小し、加えて少子高齢化などで国の勢いとしては下り坂を迎えつつある実態。
 残念ながら「衰退期」に入っているといえるかもしれません。

 国としてのライフサイクル曲線を、冷静に分析してみる必要があるように思えてなりません。


■ちょっと余談---ホーチミンからクチへ

2011073 ちょっと余談…少し話が外れるのをお許しください。
 ホーチミン市から、北西へ約70km。カンボジア国境に近い所にあるクチ。
 ベトナム戦争当時、南ベトナム解放戦線(ベトコン)の作戦本部が置かれていた場所です。
  
 ゲリラ戦用の地下トンネルが掘り始められたのは、1960年。まだフランス領だった頃。当時は、1層で全長28km。
 アメリカの侵攻に対抗するために、約20年かけて全3層、全長なんと250kmにも及ぶ地下トンネルが作り上げられたのです。
 すべてが手作業で掘り進められたトンネルは、基地としてのみならず生活の場としても使われ、まるで巨大な地下都市のよう。
 会議室、病院、食堂、台所まで備わっているのです。

 
■クチで見た「ベトコン」の知恵

2011075 地下トンネルへの入口、30cm四方くらいの鉄板に草がかぶせてあり、そこに入口があると教ええられるまで、全くわからないくらいです。
 現地ガイドに、入ってみたらと進められるも、とても入れるような大きさには思えず断念。日本人の私でもためらうのだから、体の大きいアメリカ人なら、なおさらでしょう。

 それにしても、ベトコンの知恵は凄いといわざるを得ません。
 体の小さい自分達だけが入れて、体の大きいアメリカ人には絶対に入れそうにもない地下トンネル。観光用に1.5倍に広げたトンネルに入ってみましたが、100m進んだところで、もう限界。
 落とし罠はもとより、ドア罠。
 民家のドアを押しただけで、串刺し。
 台所からも穴を掘って、別の場所から煙が上がるようにして、敵に居場所を知られないようにする。
 サンダルも、かかとの方がつま先側よりも、幅が広くなっている。足跡を逆方向に追わせるため。そのサンダルも、アメリカ軍を襲った後のタイヤから、いとも簡単に作ってしまうのです。
 とにかく、昼間は農民、かよわき女性、子供。夜は、ベトコン兵士。誰が農民で、誰が兵士だかわからないアメリカ軍の恐怖のほどが伺い知れます。
 沖縄戦で、防空壕をアメリカの火炎放射器でやられた日本の敗因を、研究し尽くした戦法のようにすら見えるのです。


■ベトナムが寛容なのか、アメリカが魅力的なのか?

2011076 帰りの車中、ガイドと政治談義に。
 これまでの外交関係を見て、「一番行きたい国はアメリカ」「一番嫌いな国は中国」 とかなりはっきりといいます。
 そしてホテルに着くと、7月4日にはアメリカ独立記念ビュッフェと大きく宣伝しているのです。
 クチの紹介ビデオでは、あれだけアメリカをボロクソに言いながら、アメリカに憧れアメリカで商売しているベトナム。

 ベトナムがよほど寛容な国なのか、アメリカが全てを吸収してしまうくらい魅力的な国なのか、いったいどちらなのでしょうか? 

 海外出張が続いて、7月号メルマガをお届けするのが大変遅くなってしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。

 次月8月号では、上海・蘇州はじめ中国事情をお届けします。

                      

平成23年(2011年)7月     
山 崎  泰  

                                
 

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『 Like a War!(まるで戦争のようだ)』--今月のメッセージ(6月号)

2011年6月14日19:39:00

『 Like a War!(まるで戦争のようだ)』

 東日本大震災後の被災地の復興が、遅れています 
 日本人の多くが、いやほとんどが、被災された地域そして皆さんに対して、支援をしたいと思いつつ、いったい何をしたらよいのか、と戸惑っている方も少なくなかろうと思うのです。
 救援、復旧、そして復興の段階に入ります。
 政府や政治を批判することは簡単ですが、いま私たちにできること、そして我々会計人にできること、それは市場、造船、漁港を再建し、一日でも早く生活・経済基盤を復興させることにあると思うのです。
 本格的な復興支援に向けて、日本のみならず海外の皆さんとも強い絆をもって「震災復興ファンド」創設すべく、全力で奔走しています。



■6月1日 『3倍遅い!』

nagata5 さる5月、松下政経塾時代の恩師に、震災復興ファンド創設の相談をしたところ、6月1日13時に、神戸市新長田の鉄人28号モニュメント前に来てはどうかとのお誘い。
 宮城県の気仙沼商店街の皆さんから、阪神淡路大震災で町の大半を消失しながらも、力強く立ち上がった新長田商店街に学びたいとの声を受けて、交流会を開催するとのこと。
 私の知人の実家も、同じ気仙沼の商店街で米屋を経営していて大きな被害を受けたこともあり、吸い込まれるように交流の輪に加わりました。

 新長田が焼けたのが、平成7年1月17日。まさにフライング気味で、仮設店舗・仮設住宅を発注したのが、1月27日。なんと、震災から10日目。
 2月1日には、商店街・市場の災害対策本部を設置。
 1ヶ月も経たない2月15日には、行政主導ではない町主導の街づくり協議会を結成。任意団体が、その後の解体や権利変換の主体となることは、通常の常識では考えられないくらいの異例。しかし、非常時には異例なくらいでないとスピードを持って進めないのも事実でしょう。
 約3ヶ月目には仮設店舗の募集・仮設住宅の建設などが始まり、5ヶ月目の6月10日には「復興元気村パラール」という100店舗の入る仮設店舗村のオープンにこぎつけています。

 ひと言も聞き漏らすまいと、真剣な眼差しで聞き入る気仙沼商店街の皆さん。
 あきらめとも怒りともつかぬ表情で、最後に「今回は、阪神淡路大震災の3倍遅い!」と語ったひと言が忘れられません。


■6月2日 『おなじナガタというのに~何をやっているのか!?』

長田商店街 交流会2日目午前中は、新長田商店街の視察。
 「商店主は、商店が再建できんと、暮らしに事欠くやろ」
 「だから、暮らしに事欠く人達が、暮らしに事欠かん役所に押しかけるぐらいが丁度ええ」
 行政にも手厳しい神戸パワーに背中を押され、また励まされるように視察する、気仙沼の皆さん。仮設店舗の参考にしようと、店舗の間口の長さを測ったり、アーケードや道路幅を質問したりーーーまさに、一挙手一投足が真剣そのものでした。

 その一方で、テレビからは午後1時から開かれる衆議院本会議に向けて、内閣不信任案が可決されるかどうかの報道。結局は、茶番のような内閣不信任劇。
 気仙沼や新長田の皆さんとは、あえて政治の話はしませんでしたが、当然、報道は皆さんの耳に入っていたはず。
 この大事なときに、いったい永田町は、何をやっているのだろう、と嘆かわしい気持ちで視察をされていたように思えてならないのです。


■ 6月5日 仙台市荒浜地区 『いったい、どんな思いで海を---』

arahama 6月2日、気仙沼の皆さんとの再会を約束して3日後、6月5日から「震災復興ファンド」を立ち上げるべく、仙台市~石巻市~一関市~気仙沼市の視察。欧州銀行団の人道支援も入れて、民間で震災復興ファンドを立ち上げ、被災企業・被災市場・被災自治体等を再興させようという計画です。

 まずは、仙台市に入り、 仙台市荒浜地区。
 高速道路が防波堤の役割を果たしたのか、仙台東部道路の手前と先とでは、天国と地獄ほどの違いがあるのです。
 荒浜の海岸に出る直前に、土産物店兼住居として使っていたと思しき建物が目に入りました。 何かとても気になり、吸い込まれるように、ひと気のなくなったその建物の前に立つと、 クマのプーさんのぬいぐるみが、店頭に転がっています。
 ふと奥を見ると、キャラクターの付いたかわいいバケツに、花束が供えられてあります。そのお子さんが、愛用していたおもちゃだろうか。
 そしてよく見ると、花の後ろには、「一期一会」の文字とおそらくは亡くなったそのお子さんの名前を彫った板が置いてあるのです。
 
 荒浜海岸に出ると、浜辺にも数多くの花が手向けられています。
 ご遺族は、いったいどんな思いで海を見つめているのだろうか。そう思うと、胸が締め付けられるようで、声になりません。
 心から、心からご冥福をお祈り申し上げます。


■ 目が覚めたひと言! 『被災地は、沿岸部だけではない!』

 
 重い気持ちを、震災復興ファンドを成功させたいとの前向きな気持ちに切り替えて臨んだ、最初のミーティング。
 打ち合わせの相手は、宮城県内の信用組合元理事長。

 今回の復興に関しても、既存債務を免除して資本化するなどして、「二重債務」の問題を解消してからでないと、地元企業は新たな借入に踏み切れないと主張されている、宮城県でも大変に影響力のある論客です。

 甚大な直接損害を受けた地域を視察した直後だっただけに、どうしても目が沿岸部だけに向きがちになっていた時。
 寝ぼけていた頭を覚まされるような、コメント。

皆さんは、津波の直接的な被災地だけに、目が向いていませんか。」

「 私が把握しているだけでも、 先月の倒産件数のうち、直接損害は6件なのに対し、間接損害は60件なのです。」

沿岸部だけ復興させても、本当の復興になりません仙台市なども含めた、沿岸部からの産品の流通・消費に役立つ産業の再興も、同時に視野に入れて考えて行かなければ、本当の復興にはならないのです。」

 確かに、小売にしても、卸売にしても、ホテルにしても、そして流通にしても、沿岸部からの産品の最大消費地ともいえる仙台市などを再興しなければ、産品の消費・流通が止まってしまうだろう。
 やはり、東京で考えているだけでは、絵に描いた餅だ‼
震災支援は、現地現場に足を運ばないと、大きなミスマッチを起こしかねない恐ろしさを痛感した一日でした。


■ 6
月6  石巻市 『Like a ar!』

ishinomaki 視察2日目は、石巻市。
 仙台市から三陸道を約50km、高速道路を下りて、市内に入り、市役所が近づくにつれて、町の様相が一変するのです。

 信号機はいまだに点いておらず、警察官が手信号で交通整理。

 がれきの山と化した町を抜けて、石巻漁港に行き着くと、 ドイツから来日している、欧州金融機関のメンバーが、私の顔を見てつぶやくのです。

「Like a War!」

 まるで爆弾でえぐり取られた後かのような建物。

 道路中央に焼けただれて、ひっくり返っている無数の自動車。
 陸地に乗り上げている船舶。
 そして、冷凍庫に残ったままと思われる魚の腐敗臭が、辺り一帯を覆っています。

 まさに、まるで戦争のようでした。

■ 6月7日 気仙沼市 『この声、どこまで届いているのだろうか?』

 気仙沼に到着後、すぐに港を視察。
 3ヵ月経った今も、がれきの山。
 気仙沼出身の知人が出迎えてくれ、「2階に上がる階段の4段手前まで、水が上がって来た」と、泥で流された1階を見下ろしながら説明してくれるのです。
新長田で一緒に過ごした皆さんも、津波が襲ってきた状況を、詳しく教えてくれます。

「いま一番困っているのは、仕事がないこと。お金もありません。」
「建物は、壊すのは良いが、新しく立て直すのはダメ!」
「かといって、国が買い上げてくれるのかどうかもまだ定かではないんです。」
 国や市の対応に対する苛立ちがとても大きいのが、聞いていてつらいほど良く分かります。

 気仙沼漁港に向かい、漁港復興に燃える若手経営者と昼食をとりながら話し込みました。
「地元住民が動けない状況を、政府が作ってしまっているように思えてならないのです。」
「このままだと、2~3年は身動きがとれません。」
「このつぶれた店の前の道。せめて、どの程度かさ上げして、どの程度の幅員にするのかだけでも役所で決めてくれれば、あとは自分達で店を再建するのに---
  
 この声は、どこまで届いているのだろうか。
 最後に、できるだけ早く地元の商工会議所等を通じて、被災された商店主や事業主の皆さんに集まってもらう会合を持つことを約束して、気仙沼を離れました。

 せめて、このがれきの残る海岸近くにテントでも張って、国会や政府の関係者が陣頭指揮をとっていたら、被災者の皆さんの気持ちも違うだろうにーーーと思いながら。

平成23年(2011年)6月     
山 崎  泰  

 

 

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本物の『マネジメント(経営)』って!?---今月のメッセージ(5月号)

2011年5月9日01:07:00

本物の『マネジメント(経営)』って!?

札幌 4月中旬、統一地方選挙の合間を縫って、北海道に視察に出かけました。

目指した先は、江別市と札幌市。
あのマクドナルドなど従業員10万人以上の大企業はじめ、全国でなんと46万人の給与計算業務を一手に請け負っている、日本最大手の給与計算会社。
東京と札幌で効率的に業務分担をして、5,000社、55万人の社会保険・労働保険手続きを代行する最大手の社会保険労務士事務所。通常、一人の社労士が担当できるのは40社が限界といわれるなか、一人で150社まで担当できる体制を構築したシステム。
北海道の企業経営を支えているといっても過言ではない、職員数100名、顧問先数1,200件を抱える会計事務所・総合コンサルティングファーム。

統一地方選挙を懸命になって戦っている多くの皆さんには、応援に伺う時間を割いてしまい本当に申し訳なかったのですが、私にとっては、『目からウロコ!』とでもいうべき、自ら気づかされたことの多い視察でした。 

最も深く胸に残ったのは、行政書士法人を運営しながら、グループ内に上場会社まで創り上げ、まさに「士業」と「企業経営」と「グループ間の相乗効果」とを並び立たせた先生の経営姿勢に学ぶ講演会。

 「自分でできることを、自分でやるというのは、マネジメントではない。
  会社や事務所のなかで、自分にしかマネジメントができない。会社や事務所でいえば、社長が先頭に立って営業しなくては、所長が先頭に立って巡回監査しなくては---という発想自体を変えなければなりません。」

自ら先頭に立って最前線に立つことを旨としてきた私自身にとって、頭をゴーンと打たれたような本当にショッキングな一言でした。
多くの中小企業経営者にとって、経営とは何かを考え直させる一言のように思ったのです。


 「自分がいま行っているマネジメントを、新入社員が3年もすれば同じようにマネジメントできる。その仕組みをつくることが大事なのです。
  大企業の社員研修を見てください。何も知らなかった新入社員が、3年もすれば会社を背負って業務マネジメントができるように仕上げるのです。」

 「とにかく、幹部教育、社員教育が大事。各部門に、有能な責任者を配置できるかどうか。
  教えられっぱなしでは、人は育たない。人を育てるという機能と責任を、その人に持たせない限り、人は育ちません。」

 「すべてのモデルは、経営者である私自身。皆さんが、自社の社員をチョロイと思ったら、皆さん自身がチョロイのです。  
  当社では、“仕事のやり方そのもの”も商品にしています。だから、職場もオープンに見せている。パーテションで区切らずに、すべて可視化。どこで誰が何をやっているかが、一目でわかるように、困った顔をしている社員にいつでも声をかけられるようにしているのです。」


確かに、講演会場となった札幌駅となりのビル・ワンフロアー。エレベーターを降りた途端、職場の中が見えるようになっているのです。
ここまでオープンなオフィスは、見たことがありません。

参加者のなかから、社員教育に関する質問が集中するのに答えて。

 「代表者本人の、社員教育に携わる時間を端折らないこと!
社員は、社長の背中を見て育つのですから。

  私は、月~土の午前8時20分~8時50分まで、社員向けに毎日講演しています。さらに月一回、土曜日には管理職以上は全員出勤して幹部研修会。」

 「せっかく北海道まで来て頂いて恐縮ですが、今日の視察・研修も、実は代表者が来たのでは意味がないのです。
自分と同じレベルの研修を、社員にも受けさせること。
いままさにこの時点の雰囲気、感動、視察の実感は、体感しなくては伝わらない。間接的に言葉で伝えようにも、この場で体で感じなければ伝わらないのです。

  本気で幹部社員を教育・養成しようと思ったら、他の会社の社長、他の事務所の所長と同じレベルの研修を、社員に受けさせることが重要!」

東日本大震災後、さらに厳しさを増す日本経済。しかし、どんなに厳しくても、生き残っていかなければならない企業そして企業経営者。
そんな中、自らの体を限界まで酷使し続けている方も、少なくなかろうと思うのです。

でも一瞬立ち止まって、
経営、マネジメントとは何か
どのように会社を形作っていけばよいのか
どのように社員を育てていけばよいのか」等々、
本当に大事なことを、ご一緒に考えてみませんか。

ガンバロウ!日本。
負けるな!経営者。
私たちは、頑張る企業を全力で応援し続けます!

平成23年(2011年)5月     
山 崎  泰  

 

 

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